驚くべき他都市の事例
渡辺 二十年の確か夏だったと思うんですが偶然、中学校校長会の会長でもある校長先生にお目にかかり「広島市は子ども権利条例を制定しようとしていますが」と申し上げると校長先生は「何ですか、その話は存じません」。当事者となるであろう校長会の会長さんがご存じない。現場で携わる方の耳にこの話が入っていないことに、市民としてまた親としても疑問と不安感を持ちました。
さて小中高でのいじめを含む校内暴力について一昨年、昨年と十一月に全国調査の統計を文部科学省が発表しています。暴力問題が全くないという学校が五割を切った。今やもう五割以上の学校で校内暴力やいじめなどの問題がある。そして年々低年齢化し増加の一途を辿っている。その要因としては、①感情のコントロールができないこと、②規範意識や道徳心の低下、自分の感情をコントロールできないことから、③他者とのコミュニケーション能力の低下。この三つが挙げられていました。この現状認識の上で、国連でいう「児童の権利に関する条約」の意味するところを考えてみましょう。発展途上国での命にかかわる強制労働、人身売買など劣悪な環境改善を主たる目的として国連の条約は制定されています。これだけ平和な日本でもそういう子供が片隅にいるかもしれない。だから批准をしたと私は理解していた。ところが自治体で制定された条例により、先生が生徒を叱って座らせたことで権利侵害として訴えられるとか、ほかにも同様の事例がありましたね。
橋本 兵庫県の川西市で子供が騒いでの授業妨害、これが連日で授業ができない。そこで別教室に連れて行って個別指導をする。そうしたところ生徒がオンブズパーソンに訴え、担任も校長も市の教育委員会も謝罪するという事態になった。権利侵害だと言うことでね。それを聞いた時にね、これは教育現場は大混乱をきたすと思いました。子供の権利を条例化し、監視体制を第三者機関に委ねるということになった時、オンブズパーソンですかね。その輩(やから)、輩といっちゃぁいけないが(笑)、その人達が権力を行使することになると思うんですね。
広島の教育改革は平成十年ぐらいから火が点いてきて、私も当事者でかなり関わりましたが(県内教育現場の崩壊が全国に知られ、国から異例の是正指導を受けた)、結局あれは対組合とは言っているけれども、組合以外の第三者も動いていたわけですよ。子どもの権利条例でもオンブズパーソンの機関など設ければ、関与する人間によっては十年前に戻るのではないか、それを恐れているのが率直な気持ちです。
渡辺 保育士の福田さんは、一人の子供が突出した行動を取った場合、状況に応じた教育的配慮で、別室指導とか個別指導をなさるんですか。
福田 もちろんあります(笑)。
渡辺 当然その子に適切な指導をしなければいけませんね。それから学力が不足ならその子だけに別の宿題を出すとか。当たり前のことで、これは教育の一環だと思っておりました。ところが、条例化した川崎市や川西市で大問題になったという事例を聞いて、手も足も出せなくなってしまった現場の先生方がどうお考えなのかと思います。
福田 保護者って結構恐いんですよ。本当に。保育員でも大丈夫じゃない。昼寝の時に寝ないで騒いでいる子がいまして。最初は「今何の時間かな」って普通に言うんですけど、言えば言うほど調子に乗ってふざけるわけですね。「いい加減にしんちゃい」と怒って布団に入れたんですよ。まぁ子供なので、帰って親にあることないことを話す。すると親が怒鳴り込んでくるんですね、「私をなめんなよ」って言って(笑)。結局謝ることしかできない。
渡辺 条例が通ると、第三者機関に調査されることになる。その第三者機関の委員自体をどうやって、誰を選出するのか、ここまで来たら考えてしまいますね。
改革から逆戻り?
渡辺 また、こんな事例もあります。川崎市ではたとえば書道の優秀作品に金銀銅なんて付けて慶事することもできないんですね。金銀銅にならない子の権利侵害が発生する。
橋本 そんなのばっかり。
渡辺 小学校で絵日記の宿題を出しても、プライバシーの侵害だから書かないって言われたら、もうそれ以上言えませんよ、という話しもある。耳を疑うような話は枚挙にいとまがありませんよ。
橋本 それはそっくりそのまま、今から十五年前の広島の教育界なんですよ。運動会で一緒に手を繋いでゴールしようという思想にまた逆戻りするだけですよ。
渡辺 「子どもの権利条例」は、子供を大人の「保護の客体」から「権利行使の主体」に確実に変える、ここがポイントになっているんですね。
高校の校長先生は条例化の話を聞いて「それは大変だ。広島の教育界は文科省から異例の是正指導を受けた大変な過去がある。当時は心ある人たちがモノを言えない状況だったが、その状態よりもっとひどく、後戻りしてしまうのではないか」と心配しています。
橋本 平成二十年の夏頃から我々はもちろん一般の市民、保護者に火が点いてきたわけですよ。火が点くっていうのは、条例のことを知ってきたわけですね。私もこれを知って学校の校長のところに話しをしました。しかしほとんど知りませんでした、内容も何もですね。そして同年の八月、九月と市民有志の方々による会合や講演会がどんどん開かれだした。
渡辺 どういった講演会でしたか。
橋本 その時は「子どもの権利条例とは何ぞや」というような、両方の立場から見る講演会があったり、反対する立場の会もあったり、それぞれだったと思います。すると今度は市の未来局が各区で公聴会を開き始めました。PTAとか青少協とか民事協であるとか、そういった各団体に説明し始めたんですね。
福田 最初、こども未来局からは、PTAには「説明する必要はない」というニュアンス、そういう言われ方だった。市PTA協議会として未来局と話すなかで「それはなだろう」と。
渡辺 それは可笑しな話しですね。直接関わる市のPTAでしょう。
福田 本当に子供達のことを思ってつくるなら、PTAの前できちんと説明をするべきだと申し入れて、ようやく各区で説明していただくことができたんですが、これもやっただけ、形式的で。
渡辺 校長先生が何もご存知ない時点で、未来局はすでに条例をつくるための「意見を聞く会」(事実上の審議委員会)を開き、六回目位まで進んでいたんです(第一回は十九年十月、二十一年十月までに十二回開催)。意見を聞く会が五回も六回も終わった時点で、一番知らなければいけない中学校の校長会の会長が何も知らないとは…。
橋本 それとね、二十年の確か十月だったと思うんですよ。私は青少協(青少年健全育成連絡協議会)の佐伯区の会長もやっていまして、条例について市青少協の会長である打越さんのところへ話しに行ったんですよ。私と前市P協会長である尾崎さん、市の「おやじの会」としては正副会長が行った。会長は私達が話すまで全く知らなかった。市の青少協の会長ですよ。聞いたその場で未来局の局長に電話して「どうなっとるんや」と、「何で我々が知らないうちにこんなことやっとるんや」と、怒りの電話ですよ。
渡辺 私のように高等学校関係の者は、最初から反対の立場ではなかったんです。条例が制定されている他県の方をお招きし、賛否両論を壇上で討議していただいた。決して反対集会ではないんですよ。終了時のアンケート調査の結果、九割の方が反対とお書きになった。残りは慎重にならざるを得ない。賛成はたった一人だった。三百人の集まりです。これはもっと勉強しなければ、ということになったんです。
私の記憶ですと確か、「意見を聴く会」に当時、二葉中学校の校長先生と山陽高校の先生が出席され、猛反対なさったんですね。ご自分の考えだけではなくて、他の校長先生とも話し合った結果、反対なさったと伺っています。それから保育園の園長さんなどに勉強のため個別にお話しを聞くと「これ、出来たら大変ですよ」、反対が圧倒的大多数だったんですね。
にもかかわらず、大変驚いた事実があります。これは周知のことですが、平成二十一年十一月二十日、教育委員会の指導二科が市立の幼少中高の管理職二百数十名に招集をかけて、一日に二回に分けて研修会をやっているんです。それも川崎市で条例をつくった理事長を招いて講演させた。その資料を見せていただきましたが、これはもう条例制定後に、
学校でどう運用したら良いかっていうような内容ですよ。
橋本 なるほどね。教育委員会指導二課が校長先生達に招集をかけたってことはいわば命令です。条例案を通そうとする中で、そこ(管理職)を抑えにかかたってことですよ。
福田 意見を聴く会の尾崎さん(前市P協会長)も反対の立場のようですが「良いものをつくるために広島市は努力している」ということであれば、制定した他都市の良い事例を挙げてみてくれと、お願いを何度もしているようですが。
橋本 それが出て来ないんですよね。
福田 私たちも何回も言いましたよね。未来局さんに。
橋本 ある市民の会が二十年五月に市のこども未来局に行きまして、公開討論会の申し入れをしたんです。反対賛成を言い合っても仕方ないから公開討論会をやろうと。その時には未来局の現自嘲と現課長が「それは良いことだ。やりましょう」、「日時も決めていきましょう。どなたを出すかも決めていきましょう」。それから一週間後ぐらいに「実はできないことになった」と。何故かと聞いても明確な答えはなし。たぶん上から「止めろ」と言われたんだと思います。推進する側の意見と反対する側の意見をそこでぶつければ良いんですよね。それを皆さんに知ってもらう、聞いてもらう、見てもらう。しかしうまく逃げられちゃったという状態ですよね。
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